未来の自分への処方箋的な意味も込めて備忘録。
「やる気はやっていれば出てくる」とはよく言われることですが(作業興奮、というらしい)、そもそも最初の段階、体を動かすのが重すぎてできないこともある(なんというのか忘れてしまいました)。ですが最近ふと「あれ、普段なら結局やらないのにできてる?」と感じることもあり、その理由がわかれば、役に立つのではないかと考えていました。
おそらくこれかな、と思ったものを書いていますが、”自分にとって”なので全員に当てはまるわけではないはず。そこはご了承ください。
早速結論ですが、それは「気負わず始めること」です。
これは「やーるぞー!」とかラピュタのパズーよろしく気合をいれる、あれとは別物ということです。これは、何か新しいことに挑戦する自分を鼓舞するときのやる気の出し方。まあ、自分はパズーのガッツポーズ、ワクワクしてる感じがすごく伝わってきて好きですけど。
気負わずに始めること。これは、日々のルーティンをこなすためのやる気の出し方、とも言えそう。別の表現にするなら……何も考えず、紙にメモを取るとき、そこにあったペンをとるように始めることです。これはつまり、「行動を目的にするのではなく、目的のために行動をすること」。先ほどのたとえとは違い、抽象的で分かりにくい。だけど、目線は目的を見据えることで、そのための行動に意識が向かないようにする、と言えばわかりやすいでしょうか?僕たちは紙にメモをとるときに「よーし、まずはペンをもって、それから書くぞ!」なんて意識しないと思います。逆に変に意識すれば、できるものもできなくなりそうです。
これは、目的がなければ行動に目が行ってしまい、(あれこれ考えて)動けなくなるということ。そのようにも言い換えられそうです。「これしたくないな」と無意識に思ってるときは、「つまり、自分は今この行動に意味を見いだせてないのか!」と気づきを得ることになりますね。
これらの話から、実際の行動に落とし込むには、まず自分が億劫になっている作業を認識し、それからその作業をただの手段にしうる目的を設定することでしょう。この目的の延長には、遠い未来になりたい自分がいなければなりません。
以上です。目的の設定の大切さを別角度から再認識した、そんな感じでした。
ここまで読んでいただきありがとうございました。終わります。
(雨降り)
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