2024年、これまで接点のなかった万葉集について興味を持つようになりました。とくに、謎多き人物である石川大夫(いしかわだいぶ、いしかわまえつきみ)と彼が辿った旅路について、わかることは何でも知りたいです。
石川大夫が詠んだ歌とその解釈
(読み下し文)沖つ波辺波立つとも我が背子が御船の泊り波立ためやも(万葉集 巻3-247)*
(一般訳)沖の波や岸辺に打ち寄せる波は立とうとも、わが主君の御船が停泊する港に波立つことなどありましょうか。
万葉百科 奈良県立万葉文化館のウェブサイトより
*便宜上、以降の万葉集の歌番号表示は(巻x-xxx)とします
この歌は、大宰府から南下してきた長田王(ながたのおおきみ)とその随行者である石川大夫が船旅をしている際に詠んだとされています。当時、鹿児島は薩摩隼人との緊張状態にあり、その前線へと赴く道中で不安を感じた長田王が詠んだ歌(巻3-246)に対する返歌とされています。石川大夫は「あなたの旅路に波風など立ちましょうか(いや、立たない)。外海や岸辺が波立とうとも、この港のように穏やかである。」と励ましました。「背子」とは親しい間柄の男の人の呼び名を指すことから、身分の高い長田王と親しい間柄であり、護衛でもあった石川大夫の頼もしさが伝わってくるようです。
万葉仮名による歌の再解釈
さて万葉仮名は、ことばの音を漢字にあてたもので、本来の意味とは関係なく使われ、多種類存在します。しかし本居宣長によると、古事記でみられる万葉仮名は意図して少数の文字種で書いてあり、同じ音の万葉仮名の使い分けを指摘したと述べています(コトバンク 「万葉仮名」山田俊雄より)。それならば、万葉仮名をあてるにしても、表現したい意味に合わせて、漢字を選んでいた可能性があります。つまり漢字の違いによる歌の解釈も変わるのではないかと思います。万葉集の編纂にあたり、書き言葉が変更された可能性はありますが、これに関しては明確な資料がないので今後の研究を待つことにして、ここでは万葉集の書き言葉の視点から、アプローチしてみようと思います。
冒頭の読み下し文は、現代人が読みやすいように読み下し作成者の解釈も入っています。もちろん、これまで研究者など多くの意見により妥当だと認められた共通見解です。これを考慮しつつ、原文である万葉仮名を振りかえってみたいと思います。原文の写本は京都大学の近衛本から抜粋しました。
(原文)奥浪 島(邊)1波雖立 和我世故我 三船乃登麻里 瀾立目八方
まずは一般解釈で御船とされる部分は三船、と当てられており、身分の高い人が乗る舟への尊称である「御船(みふね)」の万葉仮名であるのか、それとも地名である三船の可能性もあります。
次に、ここで見られる万葉仮名の「和我世故我」のうち「世故」は冒頭のように「背子」と訳されることが多いようです。「背子」という表現がみられる万葉の歌123首のうち、その多くは女性が懇意にしている男性に向けた詠んだものです。石川大夫は男性ですから(「大夫」は五位以上の男性をさす言葉)、長田王を背子と呼ぶなら、男同士の友情を描いた事となり、それもないとは言い切れませんが、他の歌に比べるとどこか違和感を感じるのではないでしょうか。
そこで他の万葉集の歌を一例として挙げてみますと、同じ音である「わがせこが」についても額田王(巻1-9)では「吾瀬子之」、長屋王(巻3-268)では「吾背子我」、阿部女郎(巻4-514)では「吾背子之」との漢字表現が異なっています。しかし「子」が「〜である人」という共通のニュアンスを持つ字を使っていて、「背子」の派生形であるような印象を受けます。
先の本居宣長による漢字の使い分けの指摘のとおりであれば、この頃は当て字としての万葉仮名の表現が制限され、同じ音でも漢字により意味を使い分けていたこととなり、「世故」と「背子」は同じ音ですが、違う意味を示すためにあえて別の漢字をあてているといえます。これは、すでに現代と同じ使い方をしていることになり、興味深い点です。
もちろん、巻が編纂された時代によって書き表現も変わっていった(または編纂時に変更された)可能性もあります。しかし石川大夫と同じ巻に収録されている長屋王の歌でも「背子」となっていることから、わざわざ「世故」にした意図があるはずです。このようにみると「世故」を親しい男性の呼び名である「背子」と解釈するには早計かもしれません。
それならば「世故」の場合の本文の解釈はどうなるのでしょうか。「世故」は現代では「世間の事情」ともされています。現代語訳をそのまま当てはめるわけにはいきませんが、組み合わせている漢字も「世(世間、世界、世の中)」「故(理由、古いもの、昔のこと)」といった意味を持つので、漢字の意味も意識した本居宣長式万葉仮名であるなら、「世間での過ぎたこと」から「良くも悪くも自分の身に起こったこと、昔のこと」を意味し、石川大夫の歌は「世間からの自分の境遇について詠んだ」という意味になるのではないでしょうか。この場合は、彼の歌は次のように解釈されるのではないでしょうか。
沖の波や岸辺に打ち寄せる波(のように、私に対して世間の風当たりや評価、内外からの噂などが絶えないが、その風)が立っても、波が穏やか(だと有名)な三船2の港のように、私をとりまく世間の事情が我が心を波立たせることはないでしょう。
このような解釈でもツジツマが合うように見えます。このような歌を詠んだ石川大夫はどんな人物だったのでしょうか。
注釈一覧
コメント